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介護従事者の心得と介護の質

2013.05.19 11:01|あすかの小部屋
皆さん、おはようございます。


このところ暑くなってきましたね。
皆さん体調はいかがでしょうか。

熊谷市では30度超えたとか。東京でも日中と夜の気温差が20度近くもあるそうです。
このところの異常な気温差で体がついていけないのではないでしょうか。

体調管理には十分お気をつけください。



それでは本題に入りましょう。


今回もあすかがお届けします。


今回は資料を引用してお話をすすめていきたいと思います。


母に言葉がないので、心までないと思い違いをしてしまうときがある。
それは、言葉を通して母を「分かろう」としているからだ。言葉がないからこそ純真無垢な心が見える。

それが存在を「感じる」ということだと思う。

体も動かず、言葉のない意思表示もうまくできない認知症の人が、手とベットの間に挟まれたまま身動きができない状態でいた。


その人の心の痛みを感じることができるかとある講演会で言ったときのこと、
講演が終わって、

「うちの施設では見まわりを強化してそういう人がいないようにするマニュアルがありますから、そんなふうに苦しむ方はいないんです」

と、ある介護職の人に言われた。

確かに、マニュアルがあることでそういう人を助ける人ができるのは間違いない。
仕事として介護がきちんと平均的になされるかどうかという点では、マニュアルもとても重要になってくる。

しかし、人が人を思いやり助けるとき、マニュアルにしたがって挟まった手を上げてあげる前に、その人の痛みを自分のこととして感じることがあるはずだ。

マニュアルで手を上げてあげる行為とその人の痛みを感じて手をあげてあげる行為は、外側から見たら全く同じ行為だけれど、本質的に違うのではないかと思うのだ。

方法、技術、マニュアルとは「言葉側」のものだ。言葉、方法、技術、マニュアルをこえて介護される側の存在を「感じ」、人間そのものをしっかりみつめているかどうか、介護の質に関わる重要な問題だと思う。

言葉をこえ、ただじっと母をみつめるとき、言葉や意味のある動きという「外側」からではなく、心の「内側」から母は私に伝えようとしているのだ。

感じあってるとき、(母が)与えることは言葉ではないものだが、受け取るときもまた言葉ではないものなのだ。

そして、「人はそこに存在するだけで大きな意味がある」ということをも母は教えてくれているのだ。

「まなざしかいご」藤川幸之助著 より一部抜粋



特に新人さんに読んでいただきたいところでもあります。


介護の質・・現実はどうでしょうか。

初めは志を持って頑張ることでしょう。
やがて専門外の雑用や、夜勤づけ・・膨大な仕事をさばくので精一杯。

でもそれも慣れてくるものですから仕事をある意味、機械的に「淡々」とこなすようになる。
現在の福祉の現場の環境ならば無理からぬことです。

そうであればこそ、今日は利用者さんとどう向き合ったのか、自分の心の動きを振り返ってほしいのです。


それだけですが、求められる「介護の質」も向上につながってゆくと思います。


頑張ってください。


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1968年六月生まれ
倉敷市出身、現在は福岡市在住。
妻(あすか)と娘たち(猫二匹)と暮らしています。
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