認知症の人のコミュニケーション②
2015.09.27 10:19|介護 福祉|
皆さん、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
つい最近まであったシルバーウイークですが、どのように過ごされましたか。
ここ2.3日天気が良かったですね。秋晴れだったので行楽の秋という感じです。
トトロ一家も被災ぶりに街に繰り出しました。久しぶりに博多駅に繰り出しましたが、もう観光客で混雑していました。
それでは今回も、本題に参りましょう。
先週は「認知症とコミュニケーション」と題して認知症の人の心理状態とそれによって出現する症状の関連性について簡単ですがご紹介してきました。
今回はさらに掘り進んでいきたいと思います。
まず、認知症ケアでこの事だけは覚えていただきたいことを書きます。以下の2点です。
話の内容はほとんど残らない
言葉ではなく感情だけが残る
以下の文章を見ていただきたいと思います。
私たちがより感情の世界に行き、認知の世界に生きることが少なってきているので、記憶に残るのはあなたが何を言っているかではなく、どんなふうに話したかということだ
私たちは感情は分かるが話の筋は分からない
あなたの微笑み、あなたの笑い声、私たちの触れ合うあなたの手が私たちに通じるのだ。
共感することが私たちをいやしてくれる。ただ、あるがままの私たちを愛してほしい。
訪ねてきて何を言っていいのかわからないときはただ、そばにいてほしい
私たちは言葉よりも、あなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要なのだ。
私たちの感情と精神はまだここにある。あなたが私たちを見つけてくれさえすれば
そう、認知症の人は感情だけが残るのです。怒られる、うれしい、悲しいとかの感情は残ると言われています。
しかし話の内容は、記憶に残っていないのです。
さて、少し専門的なお話になりますが、認知症によってもたされる症状(周辺症状)には以下の意味があると言われています。
「若いころ、人生の中で成し遂げておかなければならない大切な課題を十分にやり終えることができなかった為に解決に向けての奮闘である。」
・自分の価値を満たしたい。
・遣り残した宿題をかたづけたい。
何の事だか、さっぱり分からないと思います。
まず自分の価値を満たしたいというのは、例えば、だれかにこのことを話したい、安全に暮らしたい、だれにも無視されずに聞いてほしいなど、自分の欲望を満たしたいといたほうがよろしいでしょうか。
次にやり残した宿題を片づけたい
ですが、これを説明するにはまたまた専門的なことを言わなければなりません。
エリック、エリクソンのライフリスク論
乳児期
幼児期
遊戯期
学齢期
・・・
など各年齢によってエリックはこのように名前を付けています。
それぞれの発達段階において解決しなければならない課題があるというのです。
たとえば・・・
有幼児期の場合
基本的信頼を得られることを学ぶといいます。
つまり母親、父親から十分な愛情を与えられているかいないかによって、その方が認知症になった場合の症状として現れるのです。
母親から育児放棄をされた→誰も信頼できない→孤独を感じる→さみしくてさみしくてしょうがない、だれかにこのさみしさを聞いてほしい
結果症状として
非難、絶望的、無力、無益、新しいことを全て恐れ、感情を呑み込んでしまう
箏が起こってしまうわけです。
各発達段階によって人生に関する課題が解決できていないから、何とか自分なりに解決策を模索している状態→それが症状として現れる
これが、前回からご紹介している認知症ケアの考え方なのです。
今回は少し専門的なお話になってしまいましたが、おぼろげながらわかっていただけたらいいなと思います。
次回も認知症の方のコミュニケーションについて投稿していきます。
トトロの仕事部屋では介護スキルアップに役立つセミナーを開催しています。
良ければ寄ってみてください。
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いかがお過ごしでしょうか。
つい最近まであったシルバーウイークですが、どのように過ごされましたか。
ここ2.3日天気が良かったですね。秋晴れだったので行楽の秋という感じです。
トトロ一家も被災ぶりに街に繰り出しました。久しぶりに博多駅に繰り出しましたが、もう観光客で混雑していました。
それでは今回も、本題に参りましょう。
先週は「認知症とコミュニケーション」と題して認知症の人の心理状態とそれによって出現する症状の関連性について簡単ですがご紹介してきました。
今回はさらに掘り進んでいきたいと思います。
まず、認知症ケアでこの事だけは覚えていただきたいことを書きます。以下の2点です。
話の内容はほとんど残らない
言葉ではなく感情だけが残る
以下の文章を見ていただきたいと思います。
私たちがより感情の世界に行き、認知の世界に生きることが少なってきているので、記憶に残るのはあなたが何を言っているかではなく、どんなふうに話したかということだ
私たちは感情は分かるが話の筋は分からない
あなたの微笑み、あなたの笑い声、私たちの触れ合うあなたの手が私たちに通じるのだ。
共感することが私たちをいやしてくれる。ただ、あるがままの私たちを愛してほしい。
訪ねてきて何を言っていいのかわからないときはただ、そばにいてほしい
私たちは言葉よりも、あなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要なのだ。
私たちの感情と精神はまだここにある。あなたが私たちを見つけてくれさえすれば
そう、認知症の人は感情だけが残るのです。怒られる、うれしい、悲しいとかの感情は残ると言われています。
しかし話の内容は、記憶に残っていないのです。
さて、少し専門的なお話になりますが、認知症によってもたされる症状(周辺症状)には以下の意味があると言われています。
「若いころ、人生の中で成し遂げておかなければならない大切な課題を十分にやり終えることができなかった為に解決に向けての奮闘である。」
・自分の価値を満たしたい。
・遣り残した宿題をかたづけたい。
何の事だか、さっぱり分からないと思います。
まず自分の価値を満たしたいというのは、例えば、だれかにこのことを話したい、安全に暮らしたい、だれにも無視されずに聞いてほしいなど、自分の欲望を満たしたいといたほうがよろしいでしょうか。
次にやり残した宿題を片づけたい
ですが、これを説明するにはまたまた専門的なことを言わなければなりません。
エリック、エリクソンのライフリスク論
乳児期
幼児期
遊戯期
学齢期
・・・
など各年齢によってエリックはこのように名前を付けています。
それぞれの発達段階において解決しなければならない課題があるというのです。
たとえば・・・
有幼児期の場合
基本的信頼を得られることを学ぶといいます。
つまり母親、父親から十分な愛情を与えられているかいないかによって、その方が認知症になった場合の症状として現れるのです。
母親から育児放棄をされた→誰も信頼できない→孤独を感じる→さみしくてさみしくてしょうがない、だれかにこのさみしさを聞いてほしい
結果症状として
非難、絶望的、無力、無益、新しいことを全て恐れ、感情を呑み込んでしまう
箏が起こってしまうわけです。
各発達段階によって人生に関する課題が解決できていないから、何とか自分なりに解決策を模索している状態→それが症状として現れる
これが、前回からご紹介している認知症ケアの考え方なのです。
今回は少し専門的なお話になってしまいましたが、おぼろげながらわかっていただけたらいいなと思います。
次回も認知症の方のコミュニケーションについて投稿していきます。
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