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幸せのカタチ

2013.06.16 09:57|あすかの小部屋
皆さん、おはようございます。


毎日暑い日が続いていますが体調は大丈夫でしょうか。

大阪では連日35度以上の猛暑だとか。
まだ6月と言うのに本当に今年の気候はおかしいですね。


福岡でも熱中症で連日病院搬送される人が続出しています。
室内にいても外気の気温が「27~29℃」くらいだとしても注意が必要です。
まだ体が暑さに慣れていないためです。くれぐれも気をつけてくださいね。


それでは今回も本題に進みましょう。



以下は引用文です。

幸せのカタチ


自分のパソコンのハードディスクを「幸せ」という言葉で検索したら、とにかく多量の「幸せの詩」が見つかった。
こんなに書いていたかと驚くほどの数だ。


ずっと幸せを感じていたのであれば、私は「幸せの詩」は書かなかっただろうと思う(略)いや、幸せが何なのか分からなかったから、詩の中で「幸せ」を私は追及した。


日付を見ると、母の介護を始めてから書いたものが大部分だった。
詩という形で、介護という生活の中にどんな幸せを見つければいいか、自問自答を繰り返していた。

思い通りにならない自分の人生にもがき苦しみながらも、そこに一筋でも希望の光を見つけたかったのだ。
でも、私には、「幸せ」が何なのか長いこと分からなかった。



そんなある日、「お前の人生は不幸せだなあ」と言われた。
そういわれてもぴんとこなかった。自分の人生が不幸だと思ったことがなかったからだ。

確かに母が認知症になり、介護を引き受け、めまぐるしくいろいろな出来事が私のまわりに起こった。
確かに辛く悲しい思いもいっぱいした。幸せが何か全く分からなかった。
でも、それは不幸ではなく、私の人生そのものなのだ。(略)


認知症の母との介護の日々こそ、思い通りにならないことの連続だった。
そして一つひとつを私なりに乗り越えると、それが自分の自信になった。

重荷を背負い歩くのは骨が折れる。
しかし、精神の足腰をつよくしてくれる実感があるのだ。(略)


幸せは人生の結果ではなく、その過程にあると思うのだ。
お金持ちになることが幸せだと思っていたこともあった。偉くなることが幸せだと思っていたことがあった。
他の人にとってはそれが幸せなのかもしれない。

しかし、私にとっての幸せとは、どうもそこら辺ではなさそうなのだ。


(「まなざしかいご」)より

母が難病におかされたとき、私も「かわいそうな不幸な娘」と思われていたようです。


親切にしてくれる人も、結局は宗教の勧誘が目的だったり、心の中の悩みを母の友人に相談しても宗教の経典が結局は送られてきたり。

しかし大変でしょう?と言われても、目の前の難題を乗り越えることに必死でした。
どうこう、思う暇もなかったし、看病や介護をすることは子として当たり前のこととしか思っていませんでした。


でも今振り返ると「看病してやっている」という気持ちだったら、100%潰れていたと思うのです。


幸せのカタチは本当にひとそれぞれ。

人口が一億人だとしたら、一億通りの幸せのカタチがあるのではないでしょうか。


隣の芝生が青い、とうらやむ必要は全くないと思っています。




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1968年六月生まれ
倉敷市出身、現在は福岡市在住。
妻(あすか)と娘たち(猫二匹)と暮らしています。
高齢者福祉にたずさわって十六年になります。
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