皆さん、こんにちは。
寒い日が続いていますが、皆さんお変わりありませんか?
今朝はいつにもまして寒かったですね。
2人ともしばらく布団から寒くて出られませんでした。
それでは今回もトトロ氏に解説をお願いしましょう。
皆さん、こんにちは
寒いですね。今年はまさにホワイトクリスマスです。
福岡でも博多駅、福岡タワーなどイルミネーションがきれいですが、さすがにこう寒いと外に出る気にもなりません。
それでは今回も認知症について解説していきましょう。
前回までは、認知症の周辺症状と要因の関連性について解説してきました。
今回からは、実際に認知症の方がどう思っているのか、認知症の人の世界について解説していきたいと思います。
皆さん、認知症というとどんな印象をお持ちですか。
・ボケている
・本人には感情などない。
・だから少々手荒なことをしてもいいのだ。どうせ問題行動を起こすんだから・・・・・
確かに介護保険制度が始まった2000年当時、今の”認知症”という名前ではなく”痴呆症”というものでした。
この痴呆症という字、読んで字のごとく”ボケてあらゆるものを忘れる病気”と解釈できます。
この字のごとく当時は、認知症の人が思っていることなんてこれぽっちも研究されていませんでした。
だから、ボケていて、本人には感情などこれぽっちもないと思われていたのです。
そういう考えのもと、認知症利用者を問題のある人物、要注意人物とぞんざいな扱いを受けてきたのです。
しかし、ここ5,6年認知症の爆発的な増加とともに次第に認知症の内面についても研究が進み、次第に明らかになってきました。
では認知症の人が語る世界とはどういったものでしょうか
ここに一つの有名な文献があるのでご紹介しましょう
これはクリスティーン・ブライデン「私が私になっていく」という文献からの引用です。
「私たちがより感情の世界に生き、認知症の世界に生きることが少なくなっているので記憶に残るのは
何を言ったかではなく、どんな風に話したかしたかということだ。
私たちには感情はわかるが、話の道筋はわからない。
あなたのほほえみ、あなたの笑い声、私たちに触れるあなたの手を私たちに通じるものだ。共感することが私たち
をいやしてくれる。ただ、あるがままの私たちを愛してほしい、そばにいてほしい。
私たちは言葉よりもあなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要だ。
私たちの感情と精神はまさにここにあるのだ。あなたが私たちを見つけてさえくれるのなら!
この文献から言えることは次の通りです。
・話の内容はほとんどわからない。
・しかし言葉ではなく、感情だけが残る
・あたしが私でなくなっていくことが怖い、恐怖を感じる。
・症状が進んでも「寂しさ」「悲しさ」「喜び」「怒り」などの感情は残る
・なんでこんなややこしい病気(認知症)にかかってしまったんだろうという苛立ちだけがが残る
ここで皆さんにわかっていただきたいことは認知症という厄介な病気にかかってしまったことは本人もしっかりと分かっていることなのです。そして、感情もしっかりあるということ、だけども話のあらすじ、日常生活にかかわる手順がわからないというだけだということを忘れないでください。
次回も、認知症の人の世界について、有名な文献をご紹介しながら考えていきたいと思います。
今年のブログは今回が最終回、次回来年は1月13日から開始します。
今年、ブログを開始しましたがたくさんの方に見ていただいているようで、トトロも非常にうれしいです。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
寒い日が続いていますが、皆さんお変わりありませんか?
今朝はいつにもまして寒かったですね。
2人ともしばらく布団から寒くて出られませんでした。
それでは今回もトトロ氏に解説をお願いしましょう。
皆さん、こんにちは
寒いですね。今年はまさにホワイトクリスマスです。
福岡でも博多駅、福岡タワーなどイルミネーションがきれいですが、さすがにこう寒いと外に出る気にもなりません。
それでは今回も認知症について解説していきましょう。
前回までは、認知症の周辺症状と要因の関連性について解説してきました。
今回からは、実際に認知症の方がどう思っているのか、認知症の人の世界について解説していきたいと思います。
皆さん、認知症というとどんな印象をお持ちですか。
・ボケている
・本人には感情などない。
・だから少々手荒なことをしてもいいのだ。どうせ問題行動を起こすんだから・・・・・
確かに介護保険制度が始まった2000年当時、今の”認知症”という名前ではなく”痴呆症”というものでした。
この痴呆症という字、読んで字のごとく”ボケてあらゆるものを忘れる病気”と解釈できます。
この字のごとく当時は、認知症の人が思っていることなんてこれぽっちも研究されていませんでした。
だから、ボケていて、本人には感情などこれぽっちもないと思われていたのです。
そういう考えのもと、認知症利用者を問題のある人物、要注意人物とぞんざいな扱いを受けてきたのです。
しかし、ここ5,6年認知症の爆発的な増加とともに次第に認知症の内面についても研究が進み、次第に明らかになってきました。
では認知症の人が語る世界とはどういったものでしょうか
ここに一つの有名な文献があるのでご紹介しましょう
これはクリスティーン・ブライデン「私が私になっていく」という文献からの引用です。
「私たちがより感情の世界に生き、認知症の世界に生きることが少なくなっているので記憶に残るのは
何を言ったかではなく、どんな風に話したかしたかということだ。
私たちには感情はわかるが、話の道筋はわからない。
あなたのほほえみ、あなたの笑い声、私たちに触れるあなたの手を私たちに通じるものだ。共感することが私たち
をいやしてくれる。ただ、あるがままの私たちを愛してほしい、そばにいてほしい。
私たちは言葉よりもあなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要だ。
私たちの感情と精神はまさにここにあるのだ。あなたが私たちを見つけてさえくれるのなら!
この文献から言えることは次の通りです。
・話の内容はほとんどわからない。
・しかし言葉ではなく、感情だけが残る
・あたしが私でなくなっていくことが怖い、恐怖を感じる。
・症状が進んでも「寂しさ」「悲しさ」「喜び」「怒り」などの感情は残る
・なんでこんなややこしい病気(認知症)にかかってしまったんだろうという苛立ちだけがが残る
ここで皆さんにわかっていただきたいことは認知症という厄介な病気にかかってしまったことは本人もしっかりと分かっていることなのです。そして、感情もしっかりあるということ、だけども話のあらすじ、日常生活にかかわる手順がわからないというだけだということを忘れないでください。
次回も、認知症の人の世界について、有名な文献をご紹介しながら考えていきたいと思います。
今年のブログは今回が最終回、次回来年は1月13日から開始します。
今年、ブログを開始しましたがたくさんの方に見ていただいているようで、トトロも非常にうれしいです。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
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